*幸福論*
アキラはいつもふわふわと歩く。
まさに、地に足が着いていない、という表現のようだと思う。
それが裸足によるせいなのか、それとも軽すぎる体重のせいなのかは分からないけれど。
わずかに左右に傾ぎながら、夢見るような瞳で城を徘徊するその様はどことなく夢遊病患者を髣髴とさせもして。
ただ、その瞳が追うのはきまっていつも一人だった。
俺が来る前はいろいろ"遊び"もしていたらしいけど…想像つかない。
「アキラ」
「………なに?」
扉を開けたところで回廊の向こうを歩くアキラの背中が見えて俺は早歩きで追いかけた。
昼間にアキラが城の中をうろつくなんて珍しい。
黒を基調とした城ではアキラのまとった白いシャツは特に目を引いた。
眩しいほどの白くほっそりとした足はすらりと長く、ただ痩せているというには若干病的な体はシャツをもてあましている。
「どこに行くの」
「シキのところ」
「シキには今は会えないよ」
普段の執務であればシキもアキラが入ってこようと特に邪魔をしなければ咎めることもない。
もちろんリンがそれに異を唱えるわけも無い。
しかし今日はNicoleの研究員の定例報告会の最中だ。
さすがにそこにアキラを入れるのはまずい。
もちろん、非Nicoleであるアキラをそうやすやすと彼らの目にさらすのは得策でないからだ。
研究自体はシキが選りすぐった精鋭が行っているはずだが助手ともなればいささか質は落ちる。
以前、アキラを研究対象としようとして無理やり拉致した男の事は記憶に新しい。
アキラはあれからしばらく注射針などにひどく怯えていた。
アキラが恐慌状態におちいるほど、そいつが何かを残したのかと思うとやりきれない思いでいっぱいになる。
「俺…シキに会いたいんだ」
「どうして?」
「…わからない」
すこしだけ悩んだあとにアキラはやんわりと首をかしげた。
さらり、と伸びた髪が揺れる。
髪を…アキラはなかなか切らせてくれない。
伸ばすにしても毛先をそろえなくちゃいけないのに。
「わからない?」
「シキの傍にいたいから…だから会いたいだけ」
アキラの言葉は簡単で、まっすぐで…だから時々はっとさせられる。
痛いくらい、胸に刺さる。
「もう少しだけ待ってて。そうしたら俺がシキのところへ連れて行ってあげる」
「もう少しって…どのくらい?」
「うん…そうだね。予定だと…あと1時間くらいかな」
当然その後にだってシキは仕事を控えてるけど…まぁかまわないだろう。
報告会が終わってからしばらくはデスクワークの予定だし。
「1時間…」
そっか…とアキラは呟いて今まで向かっていた方へと再び歩き出した。
このまま行ってもアキラの部屋は無い。
そしてこの先にはシキの執務室。
もちろんそこに…シキはいない。
「アキラ」
今度は視線だけで俺の呼びかけに応えるとゆっくりした足取りをとめる。
「シキを待つんだ…それもだめなの?」
「……それは…」
「だって…シキはすぐには俺の部屋にはきてくれないから…」
確かに執務室にいるほうが早くシキと会えるのは間違いない。
俺は僅かな逡巡の後、ゆるく頷いた。
「いいよ。じゃぁこれ持って」
書類ケースをアキラに渡してその体をひょいっと持ち上げる。
軽くて、細い体は見た目に違わずやっぱり壊れそうだった。
無意識に慎重になる足取りで余計な振動を立てることなく目的地まで足を運べば、どこか楽しそうにアキラが微笑んで。
…それだけで満たされる気がして。
いつもはシキが腰掛ける革張りのチェアに埋もれるようにしてアキラは座った。
膝を抱き寄せて小さく小さくなる。
いつもならそこに尊大にシキが座っているのにと考えるとその光景はどこかほほえましい。
「アキラ、俺まだ仕事が残ってるんだ…ここで一人でも平気?」
「…へいき」
わかった、と俺は頷いて念のため警備をまわしておくことにする。
「終わったらちゃんとシキ、つれてくるから」
「ん…」
こくり、とアキラは頷いて大きな窓へと目を向けてしまった。
癖のようにアキラは部屋でも外を良く見つめていた。
もっとも、こんな城の中でアキラがシキといることのほかに娯楽を見つけられないからそれも致し方ないことなのだけど。
それは健気過ぎて、少し……心が締め付けられる。
シキと執務室へと戻ればアキラの警護につけていた二人がさっと扉を開けた。
いつもはいないはずのその警備にシキが怪訝そうに僅かに眉を寄せるのを横目で確認する。
そのまま歩を進めれば奥にあるソファでアキラがすやすやと眠っていた。
シキのチェアはすわり心地は良かっただろうが、やはり寝るには不満だったのだろう。
「…………お前の差し金か?」
「アキラがシキに会いたいって言ってたから」
「部屋で待たせておけ」
「"シキはすぐには俺のところには来てくれない"って言ってたよ」
「ふん…当然だ」
「………もっと優しくしてあげればいいのに」
アキラのこと大好きなくせに。
シキのほうが実は自分から逃げている、と……思う。
こんな事いったら殺されそうだけど。
「優しく、だと?十分可愛がっているつもりだが」
「可愛がる、の意味がちょっとねぇ」
部屋には他の兵はいなくて、自然と口調が砕けたものになっていく。
「アキラは猫とか犬とか…ペットじゃないんだよ?いいじゃん、幸せだろ?こんなに自分のことを思ってくれる人がこんなにすぐ傍にいるんだよ?」
「あれは俺の所有物だからな」
「なにそれ、ほんといつ聞いても意味わかんないよ」
「その頭の悪さには同情すら覚えるな」
「あー、はいはい。自分のほうが数倍も頭悪いってことに気づいたほうがいいかもネー」
「貴様…」
ぎろ、とシキの目が俺に向いて。
なんだよ、俺と話してるときにアキラしか見てなかったくせにさ。
アキラしか、見えてないくせにぜんぜんそれを認めようとしないなんて。
アキラのほうがよっぽど人間できてるよ。
「まぁ、俺はこれから他の仕事あるから…1時間後に書類取りに来るよ」
「1時間も要らん」
たしかに30分もあれば余裕を持って終わらせることができる量だけど。
「違うって、俺が他の業務するのに1時間かかるんだ!だからそれまでシキは休憩でもしてれば?」
アキラと、とは付け加えなかったけど、どうせ言わなくたってアキラと過ごすに違いないのだし、俺はそうすると邪魔者だからなぁ。
シキのそばで幸せそうなアキラを見ると複雑な気分になる。
嬉しい気持ちと、少しだけ混じった嫉妬、それから寂寥と、後悔。
いろんなものがごちゃごちゃと俺を惑わすから、今日のところは自分から退場することにした。
ゆっくりと執務室の扉を閉めて自分の仕事部屋へと移動する。
「でも…アキラが幸せそうだから……いっか」
なんだかんだ言ってもやっぱりすべてはそこに帰結するのだ。
いつのまにか自然と俺は微笑んでいた。
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あとがきは続きから!